5.思い出

この頃私はバイト探しに夢中になってた

彼氏と同じ生活リズムでこなせるようなバイトを探してた

全然採用されないのは私には何か足りないせいだと思ってた

バイト経験、長期で続いてない経歴、コミュニケーション能力が初対面でしか発揮できない長所と短所

これらがダメだと思ってた

昨日寝る前にこのことを彼氏に伝えた

バイト決まんなくて金銭的余裕ができなくて申し訳ないと

彼氏は大前提として私の味方なので優しく伝えてくれた

深夜帯しか出られない使い勝手の悪い人材に見られるだけだと思うと

そこに私と言う個人の特性とは別に人材としてバイトに入れるシフトが関係してるからなかなかバイトが決まらないだけと

とてもスッキリとした回答を得られて満足だった

 

さて、今日はこの前下書き保存したと思っていたブログ内容が保存されてなかったので

思い出しながら改めて文章を作っていく

前回ブログを更新しようと思っていたのは私の母親についてだった

 

ちょうどその日のニコ生で私の過去を振り返るタイミングがあった

みんな真摯に向き合ってくれてありがたかった

 

私は〇〇家の長女として産まれた

父親は第一子が男の子だったら自分の兄や親父の様にならないよう目をかけるつもりで

女の子だったら母親の友達として育てると決めていたそうだ

私は女の子として産まれたので友人や知り合いもいない北海道という土地で子育てをしていく母親の友人兼子供として育った

このことは私がガッツリ反抗期で母親を目の敵にしてた高校時代に知らされた

思い当たる節はあったし、私は高校に上がるまで同世代の友人を作れないでいたから私にとっても母親は友人枠に近かった

 

2個下の弟がいた

弟はさっさと父方の祖母に取られていた

祖母は父の兄と父という男の子しか育てたことがなかった

母親が女の子と男の子を1人ずつ産んだのを沢山褒めたらしい

なんなら私の記憶の範囲では祖母が母親を褒めるときはそれしか口にしてなかった

母は祖母が手伝ってくれない長女の世話に力を使っていたと私は勝手に思っていた時期もあった

今になって過去を思い出すと祖母がヤケに弟を可愛がっていた記憶しかない

基本的に弟は家にいなかった

祖母が連れ回しているのだ

父は夜勤の仕事のため祖母に口を出すのは事が終わってからで祖母はいつも

次から気をつけますよ、弟ちゃんもばぁばといるのが楽しいもんねー

なんていってた

 

母親を差し置いてばぁばのほうがいいなんて

言えるその脳みそがおかしいと感じた

 

かくして私は祖母は憎悪の対象になり母親の味方になっていったのだ

 

日中、父は寝ているから母親を祖母から守るのは私しかいないと

しかし、祖母にへばりつく弟のことは何故か嫌いにはならなかった

 

そうこうしているうちに私はスクスクと酷く拗らせた子供に育った

反抗期は弟と母親に向いた

祖母とは反抗期以前に仲が悪かったし

父親は基本的に私の活動時間に被らなかったからか反抗しても負けると思ったのかわからないが反抗期は一瞬だった

 

今思うと母親離れの時期だったんだろう

いつも一緒に遊んだり買い物したり日常会話をしてべったりくっついていたから

 

弟に対しては本当にごめん何であんなにブチギレでたんだろう本当にわかんないごめんなさい

 

そうして反抗期も終わり大人になりつつあった私は最大の壁にぶち当たった

母親が私と同じ看護学生になったのだ

かぺらが看護学生になれるならママも成れる!

といって受験勉強を3ヶ月しただけで入学したのだ

 

当初私は嬉しかった

また母親と共通の会話ができる

共通の時間共有ができる

そんな未来はなかったけど

母親は40超えて看護学生になれる学力と忍耐力、努力ができる

対して私はなんかまぐれで偏差値が15も違う学校に入学できてしまった

目に見えてわかる差

当時の私はこの差を理解していなかった

 

以前の家庭内では母親を祖母から守ってあげる私と母親

というのが私の中の世界だった

母親が入学してからは成績は下から数えた方が早い私と学年トップの母親になった

 

母がどこか他人に見え始めた

家庭内での会話が減った

私はとても焦っていた

何を勉強しても母親に勝てない

教えてもらうにしてもプライドが邪魔した

悲しかった

一度留年することにした

もう通学路に向かうことすら吐き気と涙がとまらなかったから

でも退学はしたくなかった

頑張れると思ってたから

でも退学することにした

1番効いたのは母親からの言葉だった

 

だってこの子頑張ってないもん

これじゃあついてこれるわけないじゃん

 

今までずっと私は何を頑張っていたんだろうと思ってしまった

別に母親のために看護師を目指していたわけでもない

でもどこか母親に楽させたい、心配かけたくない

と思っていた

確かに勉強時間は母親の半分程度だった

母親が凄すぎたと思う

一日中ずっと勉強していた母親と学内でも家庭内でも比べられた

私には逃げ道がなかった

どこにいっても私の話題には母親がいた

すごいね、えらいね

と言われるのは母親

そして決まっていつも

かぺらちゃんも見習わなきゃね

と言われる

知らない

何でこんなこと言わなきゃいけないの

悲しい

私だって頑張った

辞めるって決意したのも嫌だった

自分が許せなかった

今までの時間も努力もお金も全部無駄にするってわかってて決めたのに

逃げたかった

全部全部嫌で家も出て私のことを肯定してくれる人としか居たくなかった

 

だから仕方ないと思ってしまった

親と連絡を取らないのも

このまま逃げ続けるのも

 

中学時代に習い事をやめたいと言った私に

父が言ってくれた言葉

一度逃げたら逃げグセがついてしまうよ

思い出したけどもそんなこと

聞きたかったわけじゃなかった

辛いね、頑張ってるね、やり切れるまでもう少しだよ

といって欲しかった

 

何が言いたいとかない

ただずっとモヤモヤと心にしまっておくのが嫌だった

一度文章にしてネットの海に流せば少しは気が晴れるかと思った

だから今回やってみる

この思いがいつかちゃんと自分で消化し切れるまで

いろんな方法で納得できるまで向き合っていきたい私の人生の最大の挫折でした

 

ここまで読んでくれた方ありがとうございました。何のためにもならない所か不快にしたかもしれないですが最後までありがとうございました。

 

次は楽しいご機嫌なかぺらちゃんをお伝えできる様準備しときます。